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Yoshitaka Amano (1/4)

天野喜孝(あまの・よしたか) アーティスト
DEVA LOKA

ゼロからの進化

天野喜孝が、その絵の巧さから、若干15歳の若さで老舗アニメスタジオのタツノコ・プロダクションに迎えられたというのは、日本のアニメ業界では良く知られた話だ。中学最後の冬休みに見学に立ち寄ったスタジオで、持参した絵を見初められた少年は、その3ヶ月後にはプロの現場でいきなり絵を生業とし始める。

「僕が入社した頃のタツノコ・プロには2〜300人従業員がいて、社長も含めて、そのほとんどが20代でしたね。本当に尊敬出来る仕事をしている人が沢山いる環境だった。僕は中学を卒業してからすぐに入ったので一番若かったけど、そういうすごいと思った人たちだったから、ちょっと厳しいことを言われても、きちんと受け止められた。逆に、褒められたらすごく嬉しいわけで。」

「今でも、褒められるから調子にのって描いているだけです。子供と同じですよ。子供の頃は狭い世界で生きているから、家や学校で褒められるだけでものすごく嬉しく感じるでしょ。それが長じて、会社でも褒められて、独立してからも褒められて、それが嬉しいからまた描く。ただ、それの繰り返しで来たんです。」

Yoshitaka Amano

「変だと思われるかもしれないけど、いまだに故郷の静岡から東京に出稼ぎに来ているような気がずっとしているんですよ。15歳で突然東京に来ちゃったので、半分心はまだ静岡に置いて来たというか、ひきずっているんでしょうね。だから、10代から20代までは、ほとんど毎月のように静岡に帰ってました。今でも時間があればしょっちゅう帰るので、周囲のみんなに不思議がられます。東京では絵を描いたり、創作したりする世界にいて、静岡に戻ると素になるというか、ゼロにリセットする感じ。絵だって全く描かないんです。」

15歳で飛び込んだアニメの世界。タツノコ・プロダクションの代表的なテレビアニメシリーズ『タイムボカン』や『科学忍者隊ガッチャマン』などのキャラクターデザインを手がけ、年若くしてアニメ業界での高い評価を確立しながらも、天野喜孝がそこに安住の地を見いだすことはなかった。 今ではアニメを見ることもほとんどないのだという。

「当時のアニメーションというのは、あくまでも表現手段の一つだったんだろうと思います。今はむしろ、アニメというものを作る為にアニメを作っているように思えますけど。当時は、等身大の自分を出す為、社会への訴えかけをする目的のために、アニメという表現を利用していたような気がしますね。」

「ところがある時、自分のやりたいことって、今までにないものをやることだと気づいたんです。リサーチに基づいて、これが受けるから作る、っていうものじゃなく、まだ誰もやったことない何かをやりたいと。勿論、それがアニメならば組織が必要だし、それで大きなプロジェクトを動かすことだってできるでしょう。でも、アニメでは、自分の絵が世に出るわけじゃない。自分の描いた絵やキャラクターを、別の人が作画して、アニメにしたものが世に出るわけで。だから、アニメの世界を出たら、自分は絵描きとしてどうなんだろう、って思ったんですよ。会社のなかでの評価じゃなくて、世の中に出た時の評価を試してみたくなった。それで、30になったとき独立して、それからは一人の“絵描き”としてずっとやってきたわけです。」

「“絵描き”というのは、一生追求し、勉強し続ける修行みたいなものです。一方で、仕事で受ける絵っていうのは、締め切りがある。 僕もまだまだ未熟ですから、なんでこれ描けないんだろう?って、悶々とする時があるんですけど、それを仕事でやると、助けられるというか。悩んでいても、途中で閉め切りがくれば、終わらざるを得ない。それで悩みから解放されるからね。依頼されてもいないのにやるものと、依頼されてやるもの。僕には両方とも必要なんですよ。」

DEVA LOKA

30歳でゼロからの再出発。それは、職業として絵を描き続けるためというより、絵描きとして生きる姿勢を定めるための、そして表現者として進化を続けるための、天野喜孝なりの“けじめ”の付け方だったのだろう。

「絵描きは仕事じゃないと思っているから、絵を描くことはとにかく楽しいよね。でもだからこそ、気をつけないと、その世界に飲み込まれてしまう。いつのまにか“絵描き”という肩書きになっちゃう。でも、創造って本当はもっと自由だと思うんです。ミケランジェロとかダヴィンチなんて、絵だけじゃなくてとか建築とか発明とかいろんなことやっていたでしょ。イラストレーターとか、建築家とか、職業に名前をつけちゃうと、周囲の人には判りやすいけど、なんか自由じゃない。モノをつくるってことは、そういうことじゃない気がするんです。」

「長いことやってると、下手したら偉くなって“先生“とかって呼ばれるようになってしまう。音楽なんかでもそうでしょ。権威化して、マンネリ化する。だから、クリエイトすることっていうのは、マンネリ化との戦いであって、もしマンネリ化してきたと思ったら、そこを離れて、ゼロから出発するしかない。だって、 いずれは必ず満足できなくなる日がやってくるわけだから。」

「でもね、ゼロと言っても、これまでの経験があるから少しは有利なんだよ。自分にとっては、アニメーションも経験のひとつ。自分のステージが変わったなら、今までとは違うものを出さないとやっていけない。一方で、いままでやってきたこともまた、新しいステージに入る。だから、ゼロからやり直すってことは、どのみち良くなるってこと。人生は、その繰り返しだと思いますよ。」

今年61歳を迎える天野喜孝。その柔和な笑顔のなかに、15歳の少年の姿がいまだに垣間見えるのは、人知れず幾度もリセットを重ね、静かにゼロからの進化を繰り返してきた証しである違いない。

(取材•文 飯干真奈弥)

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