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Yoshitaka Amano (4/4)

天野喜孝(あまの・よしたか) アーティスト
DEVA LOKA

未完成な恋人たち

天野喜孝にとってのアメリカ。それは、ほとんど初恋の相手に近い。それも、成就されることのない永遠の初恋。戦後生まれの日本人アーティストの多くがそうであるように、アメリカ文化の自らへの影響について語るとき、彼の表情はまるで遠い恋の思い出話をするかのようだ。

「東京へ来てしばらくして、22歳くらいの頃だったかな。アメリカ軍が駐屯する横田基地のある福生に住んでいたことがあるんです。まだ70年代半ばで、アメリカのポップカルチャーがすごく面白い時期だったから、まわりにもその影響を受けたいろんな人が集まって来ていて、本当に面白かった。ロックミュージシャンとか、みんな若者が集まってルームシェアして住んだりね。僕は一人で一軒家に住んでたんだけど。家賃は給料の当時の半分くらいしたかな。」

「当時、福生には〈外人ハウス〉と呼ばれる住宅たくさんがあってね、アーミーの人以外は入居できないところだったんだけど、そのうち空家が増えて来たんで日本人も入れるようになって、面白そうだからそのうちの一つに引っ越したんだ。アメリカに帰国した軍人が置いて行ったアメリカ製の家具とかもそのへんに捨ててあったんで、もらってきて使ったりね。戦闘機が上空をいつも飛んでいてうるさいところなんだけど、楽しかったですよ。」

Fussa

「完全にアメリカかぶれですよね(笑)。ヴェトナム戦争時だったんで、反戦運動とかが一部ありましたけど、僕自身は国内での反米意識はほとんど感じなかったですね。アメリカ人の服売ってる店とか、ピザ屋とかステーキハウスとかが、16号線沿いにたくさんあって、なんか日本じゃないみたいで。アメリカの疑似体験ができる場所でした。」

そんな憧れのアメリカを初めて訪れたのは、それからしばらくして30歳を過ぎた頃。アニメーションの仕事で行ったロサンゼルスだった。

「福生で触れていたアメリカは、あくまで疑似体験だったんで、アメリカでも日本語が通じるのかと思っていたぐらい何も判ってなかった(笑)。先輩と一緒に行ったんだけど、二人とも英語しゃべれないわけ。“タバコ”って英語でなんて言うんだっけ?みたいな。でも、今よりアメリカの文化は珍しく貴重だったから、本当に嬉しかった。ただ、あまりにも時差がきつくて、肝心な打合せのときに一番ボーッっとしちゃって、仕事にならなかったことを覚えてます。」

「その後、シアトルで開催されたファンタジー・コンベンション*にゲストとして招聘されたときに、2度目にアメリカに行きました。アニメとはほとんど関係なく、僕は絵描きとしてよばれて行ったんだけど、他にも、アメリカ人のファンタジー作家の人がいろいろ招待されていて、『ゲド戦記』のUrsula K. Le Guinも呼ばれていましたね。 シアトルのときのほうが実は記憶によく残ってる。」

「アメリカの文化のどこに惹かれていたのか、いま考えると、やっぱりディズニーとかアメコミとか、そういうポップカルチャーだったんだよね。アメコミは、当時は神田のある古本屋でしか手に入らなかったんで、よく通っていました。英語が読めないから絵をみるだけだけど(笑)。ポップアートの波も来ていた頃で、ウォーホールとか、ピーター・マックス**とか、サイケデリック運動には影響を受けましたね。 」

高度成長期の消費市場へ、堰を切ったように流入してくるアメリカ文化を吸収していた当時の日本。やがて消化された輸入文化が一巡し、今度は日本独自の編集を加えた表現として産み出されていく。当時の若者たちが抱いた海外への憧れや好奇心こそが、現代日本のポップカルチャーを創って来たのだと天野氏は言う。

Illustration

「今の時代、どこも行かなくても全部知ってる気になるでしょ。インターネットで行ったつもり。でも、それは誰かのフィルターがかかった、誰かの情報でしかない。どこまで行ってもバーチャルな情報なわけで、自分が生身でうける印象とは絶対にずれているはず。 “ニューヨークではどこそこの店が旨いらしい“、なんて調べても意味ないね。それは、書いた人の視点だから。でも、大衆はそれを受け入れやすい。怖いことです。誰かの人生をトレースしてしまうなんてね。」

「僕は初めてニューヨークへ行ったとき、馬鹿な話だけど『フレンチ・コネクション』とか『真夜中のカウボーイ』とか映画をよく見ていたせいで、ニューヨークはどんなにか怖いところかと思ってたけど、当然ながら街も映画と全然違ってた。色彩も全然違う。街の色とか落書きとか、自分が今まで想像出来なかったものがどんどん出て来て驚いたよね。たとえ出かけるのが面倒くさくても、実際に行かないとダメ。僕はそう思ったよね。」

「子供のころから、映像で見た場所を世界地図や地球儀で見ながら空想して楽しむのが好きだった。でも、実際に行くとなると話は別で。旅先ではホテルに泊まらないといけないから落ち着かない。でも、行かざるを得ない。たとえばそれは、僕が故郷から東京に、本当は行きたくなかったけど行かなくちゃ、っていうのと似てるのかな。刺激を受けない限り、想像力は生まれてこないんです。」

今でも、アメリカやヨーロッパの製品デザインやファッションから様々なインスピレーションを得ることが多いという天野氏は、やはり大の乗りモノ好き。しかし、運転があまり得意ではないという彼の場合は、乗ることそのものより、造形物としての興味の方が強いようだ。

「いま僕が乗っているのはBMWだけど、やっぱり、造形としてはフェラーリが格好いいと思う。極めてるなって思うね。デザイナーが妥協しないで美を追求しているのがわかる。アメリカの昔のクルマも、ゴテゴテして頑丈そうなのがいい。トラックやジープとか、使用目的のために追求されているところとかね。」

「クルマにしても何にしても、美しいという基準は、自分の考える美しさを追求していけばよいと思うね。自分が美しいと思ったカタチを追求したらいい。もし、公約数的にみんなの平均値を取って行ったら、平均的なものしか出てこなくなるんじゃないかな。誰もが欲しい、完璧なものなんてこの世には存在しないのだから。だって、そんな世界つまらないでしょう。人間は求め続ける生き物。シンプルなものが求められたら、やがて馬鹿みたいに逆の価値が求められる時代がくる。そうやって、循環するんだと思います。」

「今、興味があるのは、メカと人間の区別がつかない生き物の世界。どちらかというと、メカが人間に近づいているイメージかな。人間の力を補完するテクノロジーというか。だって、人間はもうこれ以上進化しないからね。退化はしているけど。もし、人間が進化し続けて完璧になってしまったら、すぐに滅びますよ。完璧なものは必ず滅ぶんです。そういう意味で、人間もこの世界も、しばらくはまだ滅びないんじゃないでしょうか。」

決して完璧にはなれないからこそ、人間は極め続ける。極めようとするから、ときにぶつかり、歪になる。しかし、そうやって追求し続ける道の先にあるのは、また新たな未完成との出逢いなのだ。ヒトという未完成な生物が、また別の未完成な存在と出逢い、完璧に補完し合うその日が来るまで、永遠の初恋は、きっといつまでも醒めることはないだろう。

* 1989年の第15回World Fantasy Convention
** 1960年代のポップ・イコノグラフィで知られる、ドイツ・ベルリン出身のアメリカ人アーティスト。

(取材・文 飯干真奈弥)

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